怒られるのが怖いと感じるのはなぜ?

メンタル改善

皆さんこんにちは。

今回は、日本には多くの方が他人に怒られる、叱られることに関してものすごく苦手だと感じる人がたくさんいます。

そういった人に向けて、少しでも心が落ち着いてくれるような、そして叱られることを受け入れていけることが出来る内容にしましたのでぜひ最後まで読んでほしいなと思います。

私たちが知る痛みとは?

私たちは仕事の中でミスをしてしまったり、間違いを犯してしまったときは、ほとんどが叱ってくる他人が存在ます。

そして、その叱られたときに自分に起きてしまう「知る痛み」を痛感することになります。

知る痛みとは、自分の悪い所や欠点、自分の間違ってしまったミスや失敗を知らなければいけない。

これを指摘されてしまうから私たちは「痛みを伴う」のです。

つまり自分が気付いていないことを直面化されたり、自分の悪い所を明確されたときに私たちの脳は「混乱を起こしてしまいます。」

そして次に頭の中は「何が問題だったのかを整理しようとします。」

そうすると、最終的には「理解」出来るようになり、それを「受け入れて」私たちは改善策を考えようとします。

この一連の流れから私たちは「知る」という現実に繋がり、この知ることに対して痛みが生じます。

そしてこの痛みはどういう風に現れるかと言うと、、

まずは自分の欠点や失敗を知らされたという痛みから、怒り、恥をかいてしまったとか、否認をしたり、誤魔化したりする「防衛反応」が出てきます。

しかし防衛反応が出ていても、私たちはそれを頑張って受け入れようとして頭の中が整理されていくのです。

その時に頭の中では「自己の再構築」「枠組みの変化」が行われているそうなのです。

どういうことかと言うと、「今の自分の常識を壊さなければいけない」と言うことなのです。

例えば、昔は当たり前だった紙に書いて作業していたことを、今はオンライン上ですべてやるようにしなければいけない。こういうのはある意味、手間ですよね。

これと一緒で、自分の心の中にある常識が、直さなければいけない、改善しなければいけないことになったとき、私たちは苦しんでしまうんですよね。

そしてその手間は、自分で受け入れていかなくてはならないんです。

自分はダメなんだ。優秀ではないんだ。けどそれなりに自分を想ってくれる人はいるよな。

と、これが枠組みの変化になります。

相手を叱るには2つのパターンがある

誰かが他人に叱るとき、叱る行為には2つのパターンが存在します。

1つ目は相手のことを想って叱っているパターン。

そして2つ目は自分の感情のまま叱るパターン。

この2つが存在します。

そして叱られる私たちにとっては、当然相手のことを想って叱ってくれる人の方がいいし、叱り方によっても変わってきます。

まして自分自身の捉え方によっても、相手は自分のことを想って叱ってくれているのに、そういう風には見えなかったり、怯えてしまったり、あるいは叱る方が叱るのが苦手だったり様々理由はあります。

私、個人的には失敗したときにそれを否定してしまう人が今の日本社会には多いような気がします。

私の会社もそうですが、同じことを何回も失敗してしまうことに対してイライラするのは分かりますが、その失敗した人にやみくもに怒鳴っても、何にも解決には繋がらないし、その人はまた同じことを失敗すると思います。

つまり、失敗したのなら次どうすれば失敗をしないのかを考え、また失敗したのなら別の解決策を考える形がベストではないかと思います。

すごく難しいことですが、誰かが「失敗を評価しない」ことが大きな間違いだと言っている人がいました。

私もこの年でやっと、理解できるようになりました。

つまり叱る側は、相手がちゃんと理解しているのかを再確認する必要があると思います。

自分が今、叱ったから大丈夫だろう。「はい」と言ったから次は大丈夫だろうと決めつけるのではなく、本当に相手は理解したんだろうか?

もしかしたら心を閉ざしたかもしれない、聞いた振りをしたかもしれない、恐怖に怯えているかもしれない。こういったことを叱る側は確認していかないと今の日本社会はあまりにも厳しいような気がします。

不安障害について

不安障害とは普通の人よりも、叱られたときに感じる不安や怒り、防衛反応が過度に感じてしまうことで、「抱えきれないほど自分が崩壊してしまう」ことがあります。

そして彼らは、感情に支配されてしまい、最初の方で話した「自己の再構築」「枠組みの変化」にたどり着くことが出来ないのです。

発達障害の人にも同じことが起こったります。

自分の考えを変えていくことが困難であり、中にはほぼ不可能な人たちもいるようです。

じゃあ、どうすればこういったことは解決するのでしょうか。

衝撃を減らさなければいけない

叱る側が、相手に衝撃を最小限に抑えるために「ゆっくり伝える」こと、また「相手の気付きを待つ」ことが重要になってきます。

ただ中には自傷行為をしてしまう人や、他人を傷つけてしまう人がいて、そういう人にはあんまり効果はないそうです。

そして、そういった人たちは、自己愛性パーソナリティ障害の自己愛を重視してしまう人がこの行動を起こしてしまう傾向がとても高いと言われています。

その理由は、自己愛の傷つきを極端に怯えたり、極端に否定してしまう。

つまり怒られた内容よりも、「自分が傷つけられた」ということに話の中心が移ってしまいます。

また共感性の欠如といって、相手の気持ちを考えることが苦手だったり、自分の正義感だけを信じている傾向があります。

最後に

今回お話しした内容から、社会は「相手にどう伝えるのか」「どう注意していくのか」を考えることは今の日本社会においてとても大切なことであり、

逆の立場では、それを悪いものとして受け入れずに「良い機会だと思って」自分を変えて行ける人、変えて行けない人で大きな差が出てしまいます。

すごく難しい話をしましたが、今回の話は非常に大事なことを私が学び、皆さんに紹介しました。

叱られるのが苦手な人の気持ちも分かります。

でも今の日本社会ではそう簡単に変わるような環境ではありません。

私が今回伝えた内容は皆さんの心に少しでも安心感を与えるため、そして今の日本社会は叱られることが当然だ。みたいな人がいるのも事実。それを変えることが出来ないのも事実であり、皆さんには相手を変えることはほぼ無理なので、自分がどう受け入れるかで変わってきます。

しんどいのであれば、誰かに助けを求めたり環境を変えたり、方法はいくらでもあります。

そのまま我慢することは、自分にとってマイナスなことしかないので無理せず頑張ってほしいなと思います。

今回は以上になります。バイバイ。



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